『オデッセイ』

【解説】
 科学的考証を駆使したリアリティあふれるサバイバル描写と常にユーモアを忘れない主人公のポジティブなキャラクターや、熱く感動的なストーリー展開が日本でも話題を呼んだ傑作ハードSF『火星の人』をリドリー・スコット監督、マット・デイモン主演で映画化。火星ミッション中に不運が重なり、死んだと思われたままたった一人で火星に取り残されてしまった主人公が、科学の知識と不撓不屈の根性、底抜けのユーモアを武器に、その絶体絶命の状況からの地球帰還を目指して繰り広げる過酷なサバイバルの行方を描く。
 人類3度目となる火星の有人探査計画“アレス3”は、いきなり猛烈な砂嵐に見舞われ、ミッション開始早々に中止を余儀なくされる。さらに、クルーの一人で植物学者の宇宙飛行士マーク・ワトニーが、撤収作業中に折れたアンテナの直撃を受けて吹き飛ばされ行方不明に。事故の状況から生存は絶望視される中、リーダーのメリッサ・ルイスは他のクルーを守るため、ワトニーの捜索を断念して急ぎ火星から脱出する。ミッションの行方を見守っていた地球でもNASAのサンダース長官が、ワトニーの悲しい死を全世界に発表する――。ところが、ワトニーは奇跡的に命を取り留めていた。しかし、通信手段は断たれた上、次のミッション“アレス4”が火星にやってくるのは4年後。残っている食料はどんなに切り詰めても絶望的に足りない。そんな状況にもかかわらず、決して希望を失うことなく、目の前の問題を一つひとつクリアしていくワトニーだったが…。 (all cinema より)


■不測の事態から火星にひとり取り残された宇宙飛行士の決死のサバイバルと、彼を救出するための成功率の低いミッションに挑む地球の人々(NASA、彼を置き去りにしてしまった宇宙船クルー)のドラマを巨匠リドリー・スコットが監督。
…と聞くと重厚でシリアスな映画しか思い浮かばないのに、2015年のゴールデン・グローブ賞の「ミュージカル/コメディ部門」の作品賞を受賞した快作*1

■火星に取り残された主人公マークは、常に前向きではあるが能天気ではない。自信家ではあるが夢想家ではない。
不安に押し潰されそうな深刻な状況下で知識と論理性をフル活用し、トライ&エラーを繰り返しながら生存に必要な条件をひとつずつクリアしていく。
彼の生存にやがて気付いた地球側も、「国家の面子が〜」「予算が〜」「実行のための時間が〜」等々の制約条件を打ち壊しながら、彼の救出実現に少しずつ近づいていく。
それらの登場人物の表情には「必ず成功する(失敗しても、それは過程)」という決意に基づく明るさが溢れている。真剣であるが深刻にはならない。そのスタンスがいつしか笑いを生み、映画を観ているこっちも終始頬が緩んでいた。

※酷使されたまーちゃん※


■その明るさ、楽しさは、登場人物の真剣さだけの賜物ではない。「船長が火星基地に残したプレイリスト」をマークが再生する、という使われ方で全編を彩るディスコミュージックがいちいちツボで、正式な劇伴よりもこれらの曲のほうがはるかにインパクトが高い*2

「こういう地獄みたいな状況で生き残る話って、みんなもう極限状態でものすごいサスペンスじゃないですか。ところがこの映画、ずーっとこういう曲が流れているんで、ずーっとノリノリでミュージカルみたいなんですよ。これね、監督はリドリー・スコットというもう巨匠ですね。で、この人は『エイリアン』。あの怖い怖い『エイリアン』ですね。あと、『ブレードランナー』ね。そういうすごい重々しいですね、傑作の数々を撮ってきたリドリー・スコットですけど。今回、ノリノリですよ。」


町山智浩 映画『オデッセイ』を語る


■しかし、映画を観るうちにある疑問が頭をよぎった。
「はるか彼方にいるひとりの生命を救うための国家プロジェクトが動いていく間にも、地球上では何の助けも受けられすになくなる生命も数多く存在するはず。」
そういった足元の問題には映画は全く触れることなく、世界中が地球から遥か遠くの「火星の人」に注目し続ける。
恐らくはそれこそがこの映画のメッセージなのだ。会ったこともない遥か遠くの人を気遣うことができるのなら、身近で苦しむ人を助けることはより簡単にできるはずだ、と。
そんなことを考えたころスクリーン上ではD.Bowieの『Starman(1972)』をバックに、それぞれの立場を超えて様々な立場の人間が心をひとつにしていく描写が。
「スターマン(地球に還れぬ男)が天空で(助けを)待っている」という歌詞とマッチして涙が自然に溢れた。


■通常の映画であれば、主人公や主要な登場人物が精神的な成長を行うことが映画の脚本上のセオリーである。なぜなら、観客は登場人物の成長に対して感情移入することで、映画を自分のものとしたいからだ。
しかし、この映画では誰も成長しない。登場人物は皆、NASAの研究者だったり宇宙飛行士だったり、今さら成長の余地がないプロフェッショナル揃いだ。
映画の冒頭でマークを置き去りにしてしまう船長のルイス。マークの生存を知った彼女は良心の呵責を負いながらマークの救出ミッションに挑む。
冒頭でマークを置き去りにしたきっかけも、クライマックスでマークを救出するためにとった判断も、どちらも船長としての「乗員の生命を何より優先する」という徹頭徹尾変わらないポリシーに基づくものであり、判断に伴う結果のみが真逆になっているのが面白い。
彼女もまた、成長の余地はないプロフェッショナルのひとりだ。「判断から得られる結果は必ずしも望まれるものにはならない;だからこそ判断することを恐れてはいけない」というリーダーとしての哲学を持っている。
巷の映画評では科学的側面の面白さがクローズアップされ論じられる作品だけど、上記のような、船長やNASAのリーダー達の判断描写には、組織論/リーダーシップの事例集的な面白さもあった。


■…以上、言いたいことは、「船長の音楽センスは嫌いじゃないよ」ということ。

「リッチ・パーネル・マヌーバを実行したが最後、ヘルメス号が地球帰還できるまで500日以上が延びます。もし補給に失敗すると、地球帰還までクルー5名が生きていけるだけの食糧が無いのです。ではそのもしもの場合はどうするか、クルーは決めていました。補給受け取りに失敗したら、ヨハンセン以外の4名は速やかに服毒自殺。残りの食糧全てをヨハンセンに残します。ヨハンセンが選ばれたのは、一番小柄で消費エネルギーが少ないから。それでも食糧は地球帰還までもたない・・・だから4名の遺体も食糧とする、という厳しい計画でした。」


映画『オデッセイ』 THE MARTIAN ネタバレでお節介な解説

*1:演出の明快さや音楽の多用について、監督は故弟トニーを意識しているのでは?という感想も巷にはあった。自分は画面に時間経過のスーパーを挿入する演出に少しその意識を感じた。なお、ゴールデン・グローブ賞のコメントで監督は「トニーがここにいてくれれば」と言ったそうだ…じんとくる。

*2:劇場予告編ではそれらの音楽は全く使われておらず、あくまでシリアスな作品としてPRされている。そのギャップがまた本編を楽しめた要因かもしれない。